地球外超知的生命体タコピーについて

アニメ『タコピーの原罪』サイコーだったね。原作漫画を読んだことがあるのに動画と音声によって脊髄反射的に感情が揺さぶられるのって卑怯と評価したくなるほど秀逸だった。感謝!

で、だ。悲しくて切なくてハッピーで、そして希望を持ってしまうストーリーについては僕ごときが詳しく語るまでもない。泣いた、それだけだ。海外の反応を見ながら笑って泣きまくった。斜に構えたり穿った見方をするのを失念してしまうほどである。脱帽。

さて、ハッピー星人【んうえいぬkf】について考察することにしよう。

超知的=ハッピーと定義してみるだけで案外しっくりする。アンハッピーだらけの地球人類は低知的あるいは非知的ということであり、それも概ね納得がいく。地球人類が進化してハッピー星人の境地に達するのは永き時間がかかるだろう。いや、不可能としても過言ではない。これに異論を唱えられる者はそれこそ馬鹿丸出しのハッピーだ。だが、タコピーを見ていると馬鹿も悪くないと思えたりする。馬鹿が進化の鍵だと考えるのは的外れだろうか?

原作漫画を読んだときは気付かなかったが、ハッピー星人は地球人語を話すことができるのに情報を今一理解できていないタコピーをやきもきしながら診ていると、地球人類とは違った素養の種に見える。そうでなければ成長途中の個なのだろう。その死をもって大人の仲間入りをしたとも解釈できる。とてつもなくハイブマインド臭がするのは否めない。やらかしたタコピーを切り捨てたように見えたハッピーママは経験を得てハッピー力を行使したタコピーを再び受け入れたに違いない。やらかすのは既定路線だった。ハッピー星人は『シドニアの騎士』のガウナ、『戦闘妖精・雪風』のジャム、のカテゴリに近いと位置づけてみる。しずかちゃんの言うことが難しくてタコピーには理解できないのだから検討前提としては妥当だろう。

タコ型宇宙人といえば火星人を想起する。土星ウサギの立て方を考えるとハッピー星とは火星なのかもと思ったが、作中の宇宙描写を診てるにハッピー星人は別の恒星系に根付いた種であろう。恒星間移動を達成できている種の境地がどんなものであるか想像する行為は、火星にすら到達できていない未熟な地球人類にとって非効率と言えるが、ハッピー星人は武力を頼りとするレベルから卒業していることは垣間見える。ハッピー星の歴史に、そしてハッピー星宙域の歴史に、そもそもが闘争という概念が存在しなかったのかもしれない。誰しもがハッピーに生活できるリソースに恵まれ、敵対する勢力は近隣に存在せず、自然に無理せず、能天気に進化してきた単に運が良かった種がハッピー星人だと邪推してしまうのだ。それを裏付けるようにタコピーは純粋であり、馬鹿である。


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SFと科学と吸血鬼

1957年11月3日、ソ連がライカを乗せたスプートニク2号を打ち上げ。犬種なのか個体名なのか、とにかくライカと呼ばれる実験用の犬は地球軌道に到達したという。Wikiを読む限り2002年10月の最新情報では、ライカは打ち上げ数時間後に過熱とストレスで死亡、との論文発表があった。センサーによればライカの心拍数は打ち上げ前は103、加速初期で240、無重力状態になって3時間かけて通常の脈拍に戻りはしたが、この時間は地上実験の3倍だったとのこと。この間、スプートニク2号は断熱材が損傷し、船内気温は摂氏15度から41度に上昇していた。。。。人間の宇宙進出の野望のために実験体となったライカの理解度とは、どれ程のものだっただろう。まあ普通の考えて理解なんてしてないよなぁ。人間に応えようとする犬特有の健気さはあったかもしれないし、トレーニングに合格したということは強靭で従順な犬だったんだろう。国家の威信のためかもしれないけど、人間ってやつはメリットのために冷酷な手法を選択することがあるのは誰でもわかってること。例えば、植物だとしよう。植物たちの悲鳴を聞こえたならゲンナリするが、誰しもが聞こえないから気にしない。犬ならワンワンキャンキャン鳴くだけだから気にしない。それでも人間はやる。人間はそういう生き物だ。研究対象となったものには容赦なく処断を下す。人類史はそれに支えられている。だから否定はしない。そういう意味では『月とライカと吸血姫』の主人公、人語を話す吸血種族ノスフェラトゥの少女、イリナ・ロミネスクの扱いは納得できる設定と言えよう。吸血鬼ではなく対象が普通の人間でも同じ扱いになり得ることは差別が無くせていない人類においては当然のこと。21世紀の地球人類は少なくとも精神的には進化していないのだ。


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物理法則の確認を御願いします

SF……つまり、サイエンスのフィクションを創作してるけど、我々の住んでいる地球が存在するユニバースの物理法則に、できるだけ合わせられるよう試行錯誤をしていきたいと考えている。理由は読者の物理法則を基本にするのが理解度が高かろうということでしかない。別世界については基本との違いを説明すること分かりやすくなるだろう。ただし、作品では、どの世界の物理法則を採用しているかを明示するなんて馬鹿馬鹿しいことすることはない。センスオブワンダーについては各々の状況によって変化するものと考えており、自分と他人のセンスオブワンダーが100%一致していると証明されない限りは気にしない。過去の論議については興味はあれど特に配慮するものでもない。またSFの間口を狭めるようなセンスのない発言は愚の骨頂であると断言しとく。広義のSFで皆がハッピーでいいじゃん。

岡田っちのSF警察に対する見解動画も観てね。

ネコのいる未来生活

愛猫家にとっては日本都市圏の住宅事情は切実な問題だ。ペットお断りがデフォルトでまかり通っている状況とか本当に困るんだよね。未来の世界では誰でもネコと暮らせるようになるといいな。できれば家賃上乗せ無しで来年ぐらいに達成してほしいのだがな。

さて、ペット可物件を必死に探す必要がない社会は薔薇色の未来であり、それを人類(特に日本だけど)は目指すべきだと思う。もちろん捨て猫なんて存在しない。というか2050年あたりだとネコは人間と同等以上の存在になっているに違いない。知性化するまでもなくネコは人間を超える知能を有している知的生命体だ。ただ、ネコが興味があったのは地球支配ではなくネズミだったのである。だが、21世紀のネコはネズミを狩らなくなった。キャットフードを与えられて御満悦である。だが、そんな生活にもネコはそのうち飽きるに決まってる。ネコ族が進化することによって好奇心が次の段階にレベルアップするのは、そう遠くはないだろう。ネコに見捨てられないように人類は肝に銘じるべきだ。そんな馬鹿な、と思うかもしれないがネコでなくても地球人類より優れている知的生命体が地球に到来したとき慌てないようにしておくのは悪くはない生き方だ。遠い宇宙から黒船に乗ってやってきた存在に、「こいつら猿だな」と思われたくないよね。進化とは科学的質量だけではなく精神の豊かさも評価されるだろう。だからこそネコを愛でることが銀河連合に加入を認めらえる条件の一つとも成り得るのだ。地球人類唯我独尊。そろそろやめないか?


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ピカードと宇宙とAIと

Amazonでスタートレック:ピカード(以下【ピカード】)見たよ!超最高っ!吹替も字幕も見た!何回でも見れちゃう!


『そんなの宇宙を舞台にしてなくてもいいじゃん』という作品が多いなかでスタートレックは宇宙への希望と妄想を広めて高めて深めてくれる作品。中でもStar Trek: The Next Generation略してTNGは僕にとってのスタートレック歴の中ではピークであり、その理由として99%をパトリック・スチュワート演じるジャン=リュック・ピカード艦長の存在が占めている。

そして、時を超えて満を持しての【ピカード】である。1話2話を観たところでは僕のピークが更新されるのは確実だ。今時の流れではあるがAIも物語の中軸になっているようで、僕が最近のクリエイティブ活動をAIに焦点を合わせていることもあり、狂喜乱舞である。


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ホワイト羽川にゃん!

障り猫……忍野メメをきどって説明すると、

・車に轢かれた尾のない白い猫を埋葬した者に取りついて性格を豹変させる。
・取り憑いた人物に憑依しストレス発散を肩代わりする。
・恩を仇で返す怪異で特性は常時発動型エナジードレイン。

てな感じみたいだけど、障り猫に限らず物語シリーズに登場する怪異は西尾維新のオリジナルが多いらしい。

ブラック羽川について調べてみると、

・羽川翼のストレスが限界を超えると発現する怪異。
・翼の姿をとりながら人格は怪異に完全に乗っ取られ、ストレスが解消するまで元に戻ることはない。

てな感じだ。

羽川の負の心から生じた怪異という存在に目を奪われていたが、要するに二重人格みたいなもんだと仮に定義してみる。いや苛虎も加えて三重人格か。苛虎はブラック羽川と違って羽川本体から分かれて別物になっていたから無理矢理だろうか?ならば、三つの魂と定義してみよう。うむ。こっちの方がしっくりするかも。

要するに、これは魂の問題であり、精神アップロードやAI自我が研究対象になってきた昨今においては科学問題でありSF問題として扱えるのである。では、魂とは何かを考えながら羽川の心情を分析してみたい。

最初に宣言しておくが、物語シリーズの根幹設定たる怪異を否定しているわけでもない。怪異にも魂があるという話であり、怪異が何であるかという話とは別問題であるので、以下の一人語りを読む際は御注意を。


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彼方のアストラ SFへの想い

ボクがSFにどれだけ詳しいかはさておき、SFはエンターテインメントの範疇であろうことを前提として考えてみようと思う。また、SF浸透が今一な日本にSFを普及させたいと、ボクが強く願っていることも前提となる。

最近、SF好きな友人と会うと、よく話題に出るのが『彼方のアストラ』だ。例えば反重力というキーワードが分かりやすく出ていること自体が好評価だ。こういう書き方をすると脊髄反射的に突っ込みたくなるのは気持ちは分かるので念のため言っておくが、 そこに反重力の実現性はあまり関係ない。 反重力については自分の創作で、地球人類が達成するとしたら、どういう経緯か、そして何時頃が良いか、いつも考えている。というかプロでもアマでもSFに取り組もうとしている人は誰でもそれなりに調べていると思うよ。ただ、それをいちいち前置き的に言うか言わないかの違いなんだろう。まあ、基本的にSFは小難しいという反応があるということが事前に分かってるわけで、エンタメ戦略として小難しいことを言わないのは理解できるし妥当だとも思う。作中で全ての人が納得するように全ての要素を説明するなんて有り得ないよね。もはや、それはエンタメたるSFではない。創作する者、創作を単に愛でる者、それぞれの言い分はあると思うが、そもそもが2019年の地球人類の成果をもって科学の限界を語ったり、SFの表現を狭める行為は愚行なのは間違いない。

SF論というよりエンタメ論ではあるが
ジョージ・ルーカスの見解についてもリンクしておく。


どうしても突っ込みたくなるときはボクらの世界によく似てるけど実は物理法則が違うマルチバースの他ユニバースの話だと思えば良いのではないかな。物理法則が違うんだから何を言っても通用しないぜ。ねえ、どうだい?ルーカスの脳内世界よりは納得できないかい?


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