Google検索が頭悪いので「夏への扉」の冷静な感想を集めていきます。読むか迷ってる人は参考にしてね。ただしネタバレ満載。「夏への扉」は賛否両論が激しい作品です。「夏への扉」好きな管理人はネガティブ感想については華麗にスルーしているので、そういう意見を読みたければチラホラありますのでGoogleで検索してみてください。ただし、説得力に欠ける論評も多いので読書メーター(新訳版リンク)などから軽く意見を拾ってみるのも良いかもです。ただ「つまらん」と書く論評は「おもしろい」と同じく個人の自由だけど、ネガティブ意見については説得力が伴っているか否か、よくよく注意するのが吉だと思います。
フェイクニュースと同じでネガティブ記事というやつはポジティブな人も気になってしまうのでアクセスが集まり、それが好評価されてか検索上位をキープし続けます。これは、SFのようなそもそもが記事が少ない分野にとっては致命的。検索はユーザー自らが駆使するものであってランキングは信じてはいけないもの。そういう意味では最近のGoogle君は有能です。でも、御新規さんに駆使を求めるのは酷。 だから情熱あるSFファンが良質リンクによって無能検索情報を駆逐するのです。もちろん総論としてネガティブな反応を無視するべきではないことは付け加えておきます。例えばネガティブ系リンクがあっても良いと思う。ボクが危惧するのは夏への扉を開けるチャンスを得た人が、ネガティブな情報に目を奪われて残念な判断を下してしまうことなのです。皆、忙しいですし感想記事を比較する時間をなかなかとれないのは分かります。だから、好きな人が誰でもできるリンク集という手法でネット情報を再編していけばSFファンがハッピーになる方向だと思うのです!
さて、 先に少しだけ言っておきたいのは、1956年発表の作品だということ。ハインラインは間違いなく先駆者の一人であり巨匠なのは間違いないです。「夏への扉」は本国アメリカでは彼の他の作品に比べて人気は低いようです。このリンク集を作るために色々と感想を読み漁ってますが、もしかしたら「夏への扉」はSF分野が伸びつつある市場の中で実験的作品だったのかもしれません。加えてSFが未踏な領域へのチャレンジならば、実験で新しいスタイルを築いていく心構えとそれを実践できることは、正しい資質と言えます。ライトノベルがもてはやされる昨今、「夏への扉」を読み返すにつけ、SFの裾野を広げることを強く意識していた天才だとも思います。ちなみにハインラインは世界三大SF作家としてアーサー・C・クラーク、アイザック・アシモフと並び称される創作者ですが、僕にとっては迷うことなく不動のナンバー1の存在です。そして、「夏への扉」は彼の代表作品の一つだったりします。彼にとって「夏への扉」が全作品中どんな位置付けだったのかは分かりませんが、少なくとも日本読者にとっては小難しく捉えられがちなSFジャンルを柔らかく包んでくれた青春文学としても過言じゃないでしょう。
あと、最後に一つ。
ネコSFなのか否かは、ネコを愛してる人じゃないと判断つかないんじゃないかな。当たり前な話だけどネコの出番量だけじゃ計れないネコ好きの気持ちをくすぐる品質ってのがあるからね。それに「夏への扉を探すピート」のイメージが湧いてくるだけで十分だよね。
投稿者:neko
シュレーディンガーは量子猫の夢を見たか?
科学やSFに詳しくない人でもシュレーディンガーの猫というフレーズは聞いたことがあるのではないかな。最近だと青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ないで出てきてたね。ボクは話半ばでTVアニメを途中で見るのをやめてしまったし、どんな風に語られてたかも記憶が定かではないのだが、豚で兎なのに何で猫やねんと憤慨し、そもそもタイトルがアンドロイドは電気羊の夢を見るか?(作フィリップ・K・ディック)のパロディだったりして羊の立場はどうなるねんとも憤慨したりするものである。そんな馬で鹿な話はさておき、とあるシュレーディンガーの猫研究がなされたというのでボクも思いを巡らせてみることにするよ。
う~ん、↑この記事を見る限りは、あんまシュレ猫には関係ないようなのだが……まずは気にしないで基本↓から。
ふむむ、さてと……
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夏への扉(梅雨入り)
東京も梅雨入りしたみたいだね。梅雨を知らないで育った道産子のボクは上京した時分はとてもじゃないが東京は灼熱地獄だとゲンナリしつつ汗だくになりながらゲーム会社に入るために就活していたものだ。それが今じゃ梅雨も真夏も平気である。人間の体って環境に馴染むものだね。もっとも最近の北海道もまた灼熱地獄の夏になっているわけだが、日本も本格的に亜熱帯化する前に仙台あたりに遷都したほうがいいんじゃないかね。宇宙船地球号の危機は待った無しなのである。
さて、SFでネコといえば 夏への扉 を思い出す人もいるだろう。ネコSFと呼ばれることもあるがネコのピートが登場するシーンは割合的にかなり少ないのだが、その少ない出番の中で、とても印象に残る名助演猫なのである。あからさまで冒険心を膨らまし愛猫魂をくすぐられるようなハヤカワ文庫の表紙絵の印象が強いのもネコSFと呼ばれる原因の一つになっているが、ボクはネコSFと呼んでも違和感は無い。また、この作品をお勧めする人が多いのもタイトルが詩的なことが日本人の感性に合い、その感性と猫という存在との相性も良いのだと思う。犬ではこうはならないし犬SF小説を求めている人も少ないだろう、多分。(犬も好きやで)。猫は想像力を掻き立てるにあたってはSF自体とも相性が良く、かく言うボクもそのへんにやられているわけである。ネコSFか否かを判断できる資格はボクには十分にあると思っている。ちなみに家で飼ってきたネコは三毛猫ばかり。彼女たちが夏の扉を探していたかは不明なのだが。
ネットを眺めるとネガティブな反応もちらほら見受ける作品なのだが、我が愛しのロバート・A・ハインラインによって1956年に発表されてから63年経った今でも、夏への扉はボクのSFマインドに深く根付いている作品であることは間違いない。最初に読んだのはマイ・アニメで初代ガンダムのニュータイプについての解説記事に紹介されていた、
・スラン(A.E.ヴァン・ヴォクト)
・闘士(フィリップ・ワイリー)
・人間以上(シオドア・スタージョン)
に触れてSF小説にはまりまくった1982年、中学2年の頃だと思われる。それから数えても37年かあ……ふぅ。
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流氷のネコ天使
唐突にペットが飼いたくなったので手のかからなそうなハリネズミや爬虫類を調べていたのだがクリオネのことを思い出した。冷蔵庫が余っているのでクリオネ専用もいいかなあって前に調べたことがあったんだけど……
↓良い情報は転がっているものだ。というか絵柄が可愛いな。
なんかクリオネが話題だったんで、
— アクアンガーリック (@aqua_ninnniku_) 2017年1月18日
クリオネをむやみに飼おうとするのは辞めたほうがいいよーみたいな話 pic.twitter.com/vrk6gzp9b5
ナメクジね。。
ところでナルトの尾獣の六尾は犀犬という名前なのだが、犀犬 は中国の『捜神記』に出てくる巨大な犬の妖怪らしい。でも、ナルトでは 6つの尾を持つ巨大な白いナメクジなんだよね。これってクリオネじゃないのかね。6つの尾はクリオネが捕食の際に伸ばす6本の触手バッカルコーンと符合する。しょこたん語では『未来を掴むバッカルコーン』という使い方もされるみたいだ。いいね、しょこたん。
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VR治療の可能性
SAO2期は前に見たことがあったはずなのだが、今回ひょんなことが切っ掛けとなって再見したところ絶剣ユウキについての印象が全く無いのが判明した。多分、当時は何となく観ていた作品だったのでGGO編の後のエクスキャリバー編がファンタジー色が強かったので、観るのをやめてしまっていたのかもしれない。
で、観てみた感想なのだが……
御涙頂戴の御都合設定と叩かれているのも理解できるようなシナリオだ。だが、SF要素を取り入れたエンタメ作品感動ストーリーとして王道の展開であり、正直泣いた。ユウキだけではなくスリーピング・ナイツ全員が負う重き設定もちょっと衝撃だった。バーチャルなパーティと対となるリアルなパーティがある。現実にも普通に有り得るシチュエーションだ。でも、なんだか同時にネガティブな気持ちももたげてくる。これは御涙頂戴作品に対して肯定反応している己への気恥ずかしさから湧き出る反抗心かもしれないとも感じる。確かにVR周りの歴史的背景やHIV周りの設定は、少なくともアニメの中では語りつくせていないと思うが、その本質は短絡的な悲劇である。それなりの数を泣かせるのが目標なら短絡的な悲劇で十分である。涙腺が弱い人間は大勢いる。 科学やSFで泣かせたいなら、よくよく注意しないといけないなと自戒できる事案かもしれない。
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ぐうたら感謝の日
今年もやってきましたよ。
一年を通じて最も不愉快な月……6月。
祝日が一日も無い。春休みや夏休みとも関係無い。最低最悪の月だ。それを嘆くのび太を不憫に思ったアホなドラえもんが取り出したる道具は日本標準カレンダーだ。祝日シールをカレンダーに貼るだけで、その日が祝日になっちゃうという優れモノだ。ドラえもんの秘密道具には超未来的なものが多いが、この日本標準カレンダーもまたSFの域を超えている。
ドラえもんが四次元ポケットから取り出す道具とは、22世紀には存在する道具のはずだ。もしもボックスはソードアートオンラインのフルダイブ技術のようなものとも解釈できるが、 日本標準カレンダー はそれの単なる機能限定劣化版ではなく、リアルに日本国民に迷惑をかけているように語られている。まあ、のび太が『勤労感謝の日』に対抗して、『誰も働いちゃいけない日』と法律で決まっているという物凄い強制力を悪ノリで設定さえしなければ、祝日が一日増えただけなのかもしれないが。
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ブラック羽川にゃん!
物語シリーズのヒロインの一人である羽川翼が、ストレス限界に達して怪異障り猫触り猫に心身を乗っ取られる。だが、その容姿は白であり、怪異専門家の忍野メメにその出自と性質を評されて名付けられた。要するに存在本質のイメージは黒ということだ。だが、ブラック羽川の行動は猫のように気紛れであり時に純白である。
物語シリーズをファンタジーかSFかのどちらかに分類するとしたらボクは迷わずSFに分類する。分かりやすい理由としては考察し甲斐があるからだ。一見、吸血鬼をはじめとした怪異という存在が物語全体を支配している作品がゆえにファンタジーに分類するのが妥当かもしれないが、それだとボク的には物語シリーズのポテンシャルをスルーしてしまうことになる。サイエンス・ファンタジーというSFの別のほうのSF言葉もあるらしいが、それはまた物語シリーズを語るにはボク的に違和感がある。サイエンス・フィクションというジャンルがガチで最強である。ファンタジーというぼんやりした言葉には甘えたくはない。
もとより、 読売新聞に書き下ろされたつばさボードにおいて3001年 終局への旅の中に出てくるインテリ定義を羽川に引用させちゃうみたいなことをする西尾維新が創作の根源をSFに求めているように思える。ならば、その作品はSFに間違いない。
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