東京も梅雨入りしたみたいだね。梅雨を知らないで育った道産子のボクは上京した時分はとてもじゃないが東京は灼熱地獄だとゲンナリしつつ汗だくになりながらゲーム会社に入るために就活していたものだ。それが今じゃ梅雨も真夏も平気である。人間の体って環境に馴染むものだね。もっとも最近の北海道もまた灼熱地獄の夏になっているわけだが、日本も本格的に亜熱帯化する前に仙台あたりに遷都したほうがいいんじゃないかね。宇宙船地球号の危機は待った無しなのである。
さて、SFでネコといえば 夏への扉 を思い出す人もいるだろう。ネコSFと呼ばれることもあるがネコのピートが登場するシーンは割合的にかなり少ないのだが、その少ない出番の中で、とても印象に残る名助演猫なのである。あからさまで冒険心を膨らまし愛猫魂をくすぐられるようなハヤカワ文庫の表紙絵の印象が強いのもネコSFと呼ばれる原因の一つになっているが、ボクはネコSFと呼んでも違和感は無い。また、この作品をお勧めする人が多いのもタイトルが詩的なことが日本人の感性に合い、その感性と猫という存在との相性も良いのだと思う。犬ではこうはならないし犬SF小説を求めている人も少ないだろう、多分。(犬も好きやで)。猫は想像力を掻き立てるにあたってはSF自体とも相性が良く、かく言うボクもそのへんにやられているわけである。ネコSFか否かを判断できる資格はボクには十分にあると思っている。ちなみに家で飼ってきたネコは三毛猫ばかり。彼女たちが夏の扉を探していたかは不明なのだが。
ネットを眺めるとネガティブな反応もちらほら見受ける作品なのだが、我が愛しのロバート・A・ハインラインによって1956年に発表されてから63年経った今でも、夏への扉はボクのSFマインドに深く根付いている作品であることは間違いない。最初に読んだのはマイ・アニメで初代ガンダムのニュータイプについての解説記事に紹介されていた、
・スラン(A.E.ヴァン・ヴォクト)
・闘士(フィリップ・ワイリー)
・人間以上(シオドア・スタージョン)
に触れてSF小説にはまりまくった1982年、中学2年の頃だと思われる。それから数えても37年かあ……ふぅ。
ちなみに山下達郎の名曲夏への扉(リンク先で曲が聞けます!)は1980年の作品だったんだな。
夏への扉は
1970年→ ( ˘ω˘)ZZZZZZZ →2000年
1970年← ⊂(゚∀゚⊂⌒`つ≡≡≡ ←2000年
な、お話である。
1956年のハインラインは
・14年後の1970年
・44年後の2000年
の未来を妄想したわけだ。そして今は、
・63年後の2019年
というわけだ。う~ん、感慨深い。
2019年のボクは1956年のハインラインより妄想力は向上してると言えるだろうか?
ボクは63年分の情報を調べることはできるが63年前のSFマインドを肌で感じることはできない。だけど夏への扉を読むことができる。過去の作者と未来の読者という一方通行ではあるがハインラインと接点を持っている。せめてファンレターを出して双方向になれるチャンスを得られたなら幸せだったろう。さすがにハインラインが秘かにコールドスリープしている期待はしてないが、タイムマシンが実現したなら1956年のハインラインとSFについて話してみたいな。SF話を楽しむためには英語の習得も必要だがほんやくコンニャクがあれば大丈夫さ。
古い時代の未来小説は
比較論法のイロハの勉強になりそうだね。
↓こんなのもあったよ。
夏 へ の 扉 ア メ リカ文 学 に み る冷戦 の詩 学
舌 津 智 之