VR治療の可能性

SAO2期は前に見たことがあったはずなのだが、今回ひょんなことが切っ掛けとなって再見したところ絶剣ユウキについての印象が全く無いのが判明した。多分、当時は何となく観ていた作品だったのでGGO編の後のエクスキャリバー編がファンタジー色が強かったので、観るのをやめてしまっていたのかもしれない。

で、観てみた感想なのだが……
御涙頂戴の御都合設定と叩かれているのも理解できるようなシナリオだ。だが、SF要素を取り入れたエンタメ作品感動ストーリーとして王道の展開であり、正直泣いた。ユウキだけではなくスリーピング・ナイツ全員が負う重き設定もちょっと衝撃だった。バーチャルなパーティと対となるリアルなパーティがある。現実にも普通に有り得るシチュエーションだ。でも、なんだか同時にネガティブな気持ちももたげてくる。これは御涙頂戴作品に対して肯定反応している己への気恥ずかしさから湧き出る反抗心かもしれないとも感じる。確かにVR周りの歴史的背景やHIV周りの設定は、少なくともアニメの中では語りつくせていないと思うが、その本質は短絡的な悲劇である。それなりの数を泣かせるのが目標なら短絡的な悲劇で十分である。涙腺が弱い人間は大勢いる。 科学やSFで泣かせたいなら、よくよく注意しないといけないなと自戒できる事案かもしれない。







そんな甘美な悲劇に対する設定の詰めの甘さへの糾弾がある一方で、『エンタメなんだから悲劇とか小難しいネガティブキャラ設定とかウザいわ。ただ気軽にお気に入りキャラを、愛でたいんじゃボケぇ』というようなヘイトもあるらしい。まあ、こちらは楽しみ方がシンプルと言えば聞こえはいいが、物語を紡ぐ側の立場からすると、かなり残念な部類のお客さんだろう。ただし、そんな意見に対しての反論で『テンプレートのライトノベルばかり読んでるから云々』みたいな論拠も短絡的で残念感が否めない。テンプレートやライトが悪いわけじゃない。それでも想像力が逞しい読み手さんなら自分好みにオリジナル補完して十分な面白い世界に成り得るだろう。一方通行の作品であっても、それをベースにして例えばテーブルトークみたいな楽しみ方もあるわけだし、要は想像力の欠如の問題なんだろうと思う。

具体的な対処法としては、キャラの深い設定なんかどうでもいい人向け専用のコンテンツを用意してあげれば解決するんじゃないかなと思う。要はお客のカテゴライズを全ユーザーに晒すわけだ。キャラに心血を注いで、どんな設定にすれば良いかを悩む必要が無いんだから楽勝だよね。まあそんな糞コンテンツが、どれだけの需要があるのか知らないけどさ。キャラの骨の味をしゃぶろうとせずに皮だけ舐めるなんてボクはまっぴら御免だね。骨の味が好きだ嫌いだの意見を交わすのは良いんだよ。だって皆それぞれの趣味嗜好があるんだから当たり前だ。個人の創作も自由であり、それを評価するのも自由だが、創作を享受する側が創作の根本となるアイデア自体を否定するのは手筋悪いというか単純に評論家として格好悪い。だが、アイデアの出来が良い悪いを論ずるのは、やるべきだ。それが、お金が絡んだ商業コンテンツの正しい在り方である。

さて、直近の死が確実な病床の紺野木綿季がVR世界で遊ぶことは生に対する冒涜だったり他の闘病患者に対する不敬と言えるだろうか。末期癌が発覚した人が日々の仕事生活を忘れてどんちゃん騒ぎをして思う存分に人生を謳歌したら癌が消えたという嘘みたいな話もある。VR内のネットワーク社会が匿名のアンダーグラウンドだとしても生き続けることを絶たれようとしている患者の活力を得るためにVRが有用なことは分かりきったことだろう。ヴァーチャルであっても、そこにはリアリティがあるのだから。人間とは生きていれば良いだけではないのだ。『この糞つまんねえアニメ何とかしろよ!』『うるせーバカ!』と喧嘩してるだけでも楽しい人生には違いない。

『病は気から』という言葉を科学やSFに照らし合わせて社会で活かせる可能性を本気で考えてみてはどうだろう。メスや薬だけが医療では無いのだ。